「さあ、アエン姉様。わたくしと一緒に、お稽古に参りましょう」
「イヤよ、キリカ。アンタ一人で行けばいいじゃない!」
 高級住宅地の続くヒラカタ、その中でも一際大きいお屋敷の前で、二人の若い女性が言い争っている。年の頃なら二十歳ちょっと前、加えて言うなら二人とも、人目を引くような美形である。

「ふん! あたしを嬲り者にするつもりでしょ!? 確かにキリカの方が、数段格上よ、あたしがいくら稽古したって、アンタにゃ敵いっこないわよっ!」
赤い洋服を着た方の姉娘が、苛立ちをぶつける。どうやら可成り勝ち気な性格のようである。
「・・・・そん・・な。本当に才能がおありなのは、アエン姉様の方ですのに・・・」
と、キリカと呼ばれた妹娘。身に纏った純白の衣装が象徴するような、物静かな娘のようだ。

 この好対照な二卵性双生児姉妹、実は支倉流格闘術宗家の娘達であった。男は強くあるべし、女もまた強くあるべし・・・・国民総武道国家、わがニホン屈指の格闘術宗家、支倉の嫡流。
そう、妹キリカは別に姉アエンを、華道や箏曲の稽古に誘っていた訳ではないのである。


「ああ、うっさい!! もし、アンタが長女に生まれて来てたらなら、お父様もさぞ、安心だったでしょうね!」
「・・・・姉・・様・・・」
「ともかーくっ、イイコはアンタ一人いりゃ沢山よ! あたしは、遊びに行くわよ」
 問答無用で、キリカの説得を振り切ったアエンは、コウシエンへと向かった。二メーターを越える大男と、小柄で活発そうな少女、二人の腹心が後に従う。

「今日はトーナメント開催日ね。あたし、裏トーナメントに出場するわよ」
 はい、アエン様、と少女。黙って従う大男。
 アエンの言う通り、今日コウシエン・コロシアムでは、月に一度の公式武闘トーナメントが開催されていた。これに合わせて、裏トーナメントも開催されているはずだ。
裏トーナメント・・・・大勢の観客の前で、正々堂々武術を競えぬ理由のある猛者達の戦いの場・・・・コロシアム地下にある薄暗い一室、裸電球一つの下、可能な限り、男対女の組み合わせでの対決を実現するように取り組まれた、この裏トーナメント・・・・かねてよりアエンは、ここでの戦いで日頃の鬱憤を晴らしていた。

 ウィミィ占領軍司令部が、この潜りのトーナメントの開催を黙認しているのには、理由があった。アエンを始めとする女傑達が、男共を叩き伏せていく様を、男性上位の思想が根付いた敗戦国ニホンの実権を握る裏紳士達に見せるのは、この国を手っ取り早く、ウィミィ流女性上位国家に改造するための一助となりうるであろうから。まあそこまでいかなくとも、このトーナメントの観戦が、サディスティンである占領軍女性士官一同の、格好の息抜きの場になっていることだけは確かだった。
 コウシエンのシマの地区協力金が高額なのは、ある意味この地区を管理するアエンの功績なのかもしれない。

「ふうー・・・退屈ねえ」
 準々決勝を終えて、控室に戻ったアエンは、大きく欠伸をした。側にいたかの大男が、恭しくガウンを羽織らせる。大きく胸部の露出したリングコスチューム(?)、アエンはこれが嫌いだった。理由は簡単、恥ずかしいのである。このアエンという娘、蓮っ葉を気取っているわりには奥手で、このようにウブな所がある。

「どいつもこいつも、ろくでもない男ばかり!」
 吐き捨てるアエン。事実そうであった。今日もまた、彼女が本気で拳を叩き付けられる男にお目にかかれないのである。今の対戦相手などは、少しは期待したのだが・・・
何のことはない、アエンの小手調べの一撃で、あっさり倒れてしまったのだ。そして、担架で運ばれていった。これで、本日三人目・・・・まあ、前の二人と同様、急所は外してあるから、すぐに治療すれば助かるであろう。
 ・・・・・・多分・・・

 かくして準決勝。
 アエンの対戦相手は、一目でそのスジの者と分かる男であった。
背中に彫られた登竜の彫り物、両肌脱いだ上半身には無数の刀傷、そして、何とも形容しがたいような下衆びた薄ら笑いを浮かべて、彼女をみつめている。
 アエンは、心の中で唾棄した。やっぱりろくでもない男・・・・今までの対戦相手とは、また違った意味で、「ろくでもない」男であることを直感した瞬間、アエンの戦術は決定された。

 始め! 審判の声と同時に男が突進する。これに対しアエンは、真後ろに一歩引いて、男の突進を迎え撃った。
珍しいことである。いつもの彼女だったら、自分の方から突進してゆくというのに。アエンは助走をつけることで、自らの拳撃に重さを加え、その軽量をカバーしているのだ。
 敵の体当たりを寸止めでかわしたアエンは、握っていた拳を開き、男の顔面 眉の少し上あたりを爪先で弾いた。所謂「牛殺し」である。

 キョトンとした表情で、自らの顔面に手をやる男。夥しい量の流血、予想だにしていないことだ。
一方のアエンはといえば、そんな対戦相手には目も呉れず、観客席の中の一人の人物を見つめていた。
 占領軍司令官シーネル・ブラウン・・・・女性上位国ウィミィのことであるから、司令官といっても、うら若き女性である。下手をすれば、アエン達と同年代かもしれない。反骨精神旺盛なアエンが、シーネルに好意的な訳がない。

 ・・・・・・・・やっぱり、こっちの方に先にきたのね、シーネル。そうよね、お目当てのあの美男剣士が「表」に、登場する迄には、まだ間があるものね・・・・いいわよ、アンタの見たいもの、見せてあげるわ・・・・

 「このアマァァァッッ!! どりゃあー!!」
 逆上した男は、脇差(ドス)を抜いて、アエンに突きかかる。
アエンにとっては、将に計算通りの展開、「チンビラ流喧嘩術」を使って敵を挑発したのは、男に脇差を抜かせて場を盛り上げるためであった。

 ・・・・さあて、退屈凌ぎさせてもらうわよ・・・・
 その切っ先を難なく捌いたアエンは、敵の肩口、首の付け根あたりに、拳を振り下ろす。
手応えはあった。いつものように。

 「ウワワァァァッッ!!!」
 男の口から凄まじい絶叫があがり、ベニヤ板の壁が共鳴で振動した。
 「だらしないわねえ、鎖骨と肋骨が二〜三本折れただけよ。これくらいじゃ死にはしないわ!」
 腰に手を当てて、大見得を切るアエン。観客席のシーネルと目線があう。一瞬おいて目線を逸らしたシーネルは、離席して上り階段へと向かった。

 ・・・・・・うふふ、コロシアム視察の公務に戻るわけ? それとも刺激が強すぎたのかしら、シーネル少佐?・・・・
目的を果たしたアエンにとって、対戦相手の男などは、最早どうでもよい存在であった。さっさと片づけてしまうに限る。
 ・・・・・・どう料理してやろうかしら?・・・・そうだわ・・・・

 蹲っている男を引き摺り起こしたアエンは、その鳩尾を抉りあげた。これは、妹キリカの得意技である。
助走をつけて突進し、派手に相手をぶん殴りつけるアエンに対し、キリカは、ぎりぎりまで敵を引きつけ、鳩尾を抉る拳撃を多用していた。火と水、正反対の性格の姉妹であることを単著に表す事実である。
 胃の内容物を撒き散らし、床にのたうつ男。先程の上半身の激痛とあいまって、この世のものと思えない苦悶を味わっているであろうことは、想像に難くない。

 ・・・・・・どう、キリカ? アンタの様に一撃必殺とまではいかないけど、あたしのも中々のものでしょ?・・・・
 審判の勝ち名乗りを受けることもなく、さっさとアエンは控室に引き上げてしまった。そう、勝つに決まっている目先の勝負結果などは、元よりどうでもよいこと、彼女にとっての関心事は、どれだけ「退屈凌ぎ」を楽しめるかということである。
 その退屈凌ぎの機会も、あとは決勝戦を残すのみとなった。

 「ねえ、盾、アエン様どうしちゃったんだろ? さっきから溜息ばかりついてるね」
 春風が語りかける。紹介が遅れた、腹心の少女である。過日の爆心地視察の折りにアエンは、気まぐれでこの戦災孤児を拾ってきた。
話しかけられた方の大男の名は盾、代々支倉の家に仕える本名のない一族の者である。決して口を開こうとはしない盾だが、それでいてこの二人、結構会話が成立しているのだ。
 春風の指摘通り、アエンは少し変であった。「二人のライバル」に「快勝」した直後だというのに。

 「・・・・・あたしだって分かってるわよ・・・」
 アエンが、呟いたその時、トーナメント主催者からのお呼びがかかった。
 いよいよ決勝戦・・・・・

 対戦相手は、壮年の男であった。重厚な感じの武闘家と見受けられる。
 似てる・・・・・アエンは感じた。先程からの気鬱の元凶である「あの男」に。
口を開けば、「お前は支倉の跡継ぎなんだぞ」、一つ覚えの題目のように同じ事を、それでいて物静かに繰り返す、支倉ハイネ・・・・・今朝もアエンは、この父に突っかかってきたばかりだった。
 この時アエンに、少しでも冷静さが残っていれば、直後の暴挙には及ばなかったかもしれない。主家桃山家・定例会議の席での、父ハイネへの反発、そして、父と同じ「水の性格」を持つ妹・キリカとの冒頭の口論・・・・・「火の性格」のアエンが、これら同日の出来事を「水」に流せている訳がなかった。

 審判の「始め」声と同時に、アエンは突進した。この時彼女の背中から、炎が上がって見えたのは、その場にいた者達の錯覚であったのだろうか?
そして床には、倒れた武闘家の姿があった。
 否 この言い方は正確ではないだろう。飴のように折れ曲がった首、飛び出した眼球・・・・・「武闘家だった物体」が、そこに転がっていた、と言うべきである。

 裏・支倉流暗黒拳奥義の一つ「業炎火」・・・・・全ての物を焼き尽くすと伝えられる、地獄の火車・・・・・観客の誰もが、そして審判もが、アエンの右二の腕が、敵の頸椎に激突する瞬間を見落としたのも、無理からぬことであった。
 実戦で裏奥義を使うという大禁忌を、アエンは犯してしまったのである。


 「・・・・・ふ、二人とも、帰るわよ」
 足早に階段を上るアエンに、春風が続き、三歩下がって盾が従う。
このことは、早晩父の耳に入る。急ぎ、持ち場である事務所に戻り、電話線を切断しておく必要があるだろう。
 もう、沢山だ、耳にタコとイカが出来ていた。臆せず激せず繰り返される父の、あの正論には。

 「・・・・・お父様ったら・・・・・少しくらい優しい言葉を、掛けてくれてもいいじゃない・・・・・いつもいつも、キリカばっかり・・・・・」