2005年09月04日

これで手間取った…



   登り来て 振り返り見る 坂の上 国美しき 四季の移ろひ (松井芒人)



高遠句碑例によって例のごとく、全く歌と関係ない話から始めましょう。

平家物語等々に描かれる壇ノ浦の下りが何故にかくもウケるのでしょうか。
ずはり、滅びゆくものの美しさが人の心を打つのだと思うのですよ。
生物には「死の本能」Todestriebともいえる、の性心理に重なるものもあるのですが。

おっと、おっと、話を続けましょう。
時代は下って戦国時代末期。ここにもひとつの滅びがあります。
名門武田氏の滅亡…先ずは上記、高遠城の悲話が口火的象徴となりました。

記述的には、● 仁科五郎盛信 vs 織田信忠 ○ の戦い、ということになるのですが、少し背景を振り返りましょう。
高遠城主・仁科五郎盛信。
五郎というくらいですから、信玄の五男、安曇の豪族仁科氏の(押し付け的)養子となったのち、ここの伊那の高遠を守護していました。

地理的には織田領との隣接ですよねえ。戦になれば先ず初戦の場所となりますわな。
木曽義政(信玄の女婿)が織田方に寝返り、近くの大島城を守護していた信玄の弟・信廉までが一戦も交えず夜逃げした状況とあっては、ここ高遠城には勝ち目がありません。
盛信以下腰元衆に至るまでが武器を取って戦い、そして一人残らず斬死するのです。

高遠城の桜は紅色が濃いのは、このときの彼ら彼女らの血を吸ったせいだと伝えられます。

と、ご存知「高遠城の血染め桜」のお話でした。
んですが、実は〜
予定していた短歌が見つからず急遽さしかえをしたんですよ。

 高遠は 懐かしき町 古き町 〜

確か明治の大文豪の歌…

情報をお待ちしますデス。。。


Posted by miyumiyu38 at 19:24